ご挨拶と東京の天気
7月14日(日)のご挨拶
こんにちは、皆さん!
7月14日(日)の東京の天気は、曇り時々雨で、最高気温は28℃、最低気温は25℃となっています。降水確率は午前中が70%、午後から夕方にかけて50%、夜は30%と変動します。風は南の風が吹き、波の高さは0.5メートルです。
東京都の熱中症情報は「警戒」とされています。十分な水分・塩分補給と休息を心掛けるようにしてください。以下に、皆様が快適に過ごすための新しい暑さ対策のアイディアをお伝えします。
7月14日(日)の天気・東京
曇時々雨曇時々雨 28℃[-3] 25℃[+2]
時間 0-6 6-12 12-18 18-24
降水 70% 70% 50% 30%
風:南の風
波:0.5メートル
東京都の熱中症情報
十分な水分・塩分補給と休息を
今日は何の日
- クラシコ・医師の日
- 新学社・全日本家庭教育研究会の「家庭教育を考える日」
- 内臓脂肪の日
- 丸大燻製屋・ジューシーの日
- 平田村あじさい記念日
- しんぶん配達の日
- 月でひろった卵の日
- 内視鏡の日
- ゼラチンの日
- ゼリーの日
7月14日は、「な(7)い(1)し(4)きょうの日(内視鏡の日)」です!
7月14日は「内視鏡の日」です。日付は「ナ(7)イ(1)シ(4)」と読む語呂合わせに由来しています。
日本で初めて胃カメラによる胃内撮影に成功したのは1959年。胃カメラは医学のさまざまな分野で高く評価され、診断・治療に役立てられてきました。胃がんでは、早期に発見されたがん(「ステージI」)は、治療の目安となる「5年生存率」が90%以上と非常に良好であるとされており、内視鏡による治療や手術によって治る可能性が高まっていることが示されています。その内視鏡医学のさらなる発展と普及が、記念日制定の目的です。
月でひろった卵の日(7月14日 記念日)
山口県柳井市に本社を置き、「果子乃季」(かしのき)の屋号で山口県内で和洋菓子の販売を行っている「あさひ製菓」株式会社が制定。
名付け親は、ANAの客室乗務員( CA )さん
当初は「月の卵」と「月でひろった卵」という2つが候補に。ふんわりとした可愛らしいフォルムに、
優しい甘さをふまえて、やわらかな印象の「月でひろった卵」が採用されました。全日空(ANA)機内食として採用。日付は1987年(昭和62年)のこの日に果子乃季の1号店がオープン。メイン商品の「月でひろった卵」が販売されたことから。
誕生花
- ナデシコ「純愛」「可憐」
- ノウゼンカズラ「名声」「夢ある人生」
誕生日
- 2001年 久保史緒里(乃木坂46・タレント)
- 1978年 じろう(シソンヌ・お笑い)
- 1969年 桜庭和志(プロレス)
- 1967年 倉持陽一(真心ブラザーズ・ミュージシャン)
- 1964年 椎名桔平(俳優)
- 1961年 斉藤慶子(女優)
- 1960年 上村CAN(THE虎舞竜・ミュージシャン)
- 1954年 あいはら友子(女優)
- 1953年 南部虎弾(電撃ネットワーク・タレント)
- 1952年 水谷豊(俳優)
- 1944年 久米宏(キャスター)
- 1937年 森喜朗(政治家)
- 1935年 出光元(俳優)
- 1919年 リノ・バンチュラ(俳優)
- 1918年 イングマル・ベルイマン(映画監督)
- 1890年 オシップ・ザッキン(彫刻家・画家)
- 1862年 クリムト(画家)
- 1810年 緒方洪庵(蘭学者)
- 1180年 後鳥羽天皇(皇族)
- ????年 竈門炭治郎(漫画『鬼滅の刃』)
緒方洪庵(1810-1863)の生涯と業績
生涯
緒方洪庵(おがた こうあん)は、1810年(文化7年)に備中国賀陽郡足守(現在の岡山県)で生まれました。幼少期から学問に対する熱意を持ち、地元の寺子屋で学びました。1831年に大坂に出て、蘭学を学ぶために緒方家の門人として入門しました。
業績
1. 蘭学の普及
緒方洪庵は、蘭学(オランダ語を通じた西洋学問)に深い関心を持ち、大坂で蘭学を学びました。彼は医学だけでなく、自然科学や技術の知識をも積極的に学び、これらの知識を日本に広めるために尽力しました。
2. 適塾の創設
1838年に大坂で「適塾」を創設し、多くの弟子を育てました。適塾は、後に日本の近代医学や自然科学の発展に大きな影響を与えた多くの人材を輩出しました。福沢諭吉や大村益次郎などの著名な人物もここで学びました。
3. 疫病の治療
緒方洪庵は、コレラや天然痘などの疫病が流行した際に、積極的に治療にあたりました。彼の治療法や公衆衛生に対する取り組みは、多くの人々の命を救いました。
4. 著書の執筆
彼は多くの医学書や翻訳書を執筆し、日本に西洋医学の知識を広めました。代表的な著作には『蘭学階梯』や『赤瀉毒治』などがあります。
5. 社会貢献
緒方洪庵は、医師としてだけでなく、教育者としても社会に貢献しました。彼の理念は、医療の普及と教育の重要性を強調し、これが後世に大きな影響を与えました。
緒方洪庵のすごいエピソード:コレラ流行時の奮闘
背景
緒方洪庵(1810-1863)は、日本の江戸時代末期に活躍した蘭学者であり、医師でした。彼の業績の中でも特に注目されるのが、1858年に日本でコレラが流行した際の彼の奮闘です。このエピソードは、彼の医学的知識と人道的精神を如実に表しています。
コレラの流行
1858年、江戸を中心にコレラが猛威を振るい、多くの人々が命を落としました。当時、日本では西洋医学がまだ広く普及しておらず、コレラの治療法についてもほとんど知られていませんでした。このような状況下で、緒方洪庵は蘭学(オランダ医学)の知識を駆使し、コレラの治療と予防に全力を尽くしました。
医学的知識の活用
緒方洪庵は、コレラが感染症であることを理解し、衛生管理の重要性を説きました。彼は以下のような具体的な対策を講じました。
- 清潔な水の確保:
- 当時、コレラの主な感染経路は汚染された水であると考えられていました。緒方洪庵は、清潔な水の確保と汚染された水の使用を避けるように人々に指導しました。
- 食事の管理:
- 衛生的な食事の摂取を奨励し、特に生水や生魚の摂取を避けるよう指導しました。
- 隔離と治療:
- 患者の隔離と早期治療を行い、病気の拡散を防ぎました。彼は自身の診療所で多くの患者を受け入れ、治療にあたりました。
適塾での指導
緒方洪庵が創設した適塾は、多くの優れた医師を輩出しました。コレラが流行した際、彼の弟子たちも洪庵の指導の下で治療活動に参加しました。彼らは全国各地でコレラの治療と予防活動を行い、多くの命を救いました。
人道的精神
緒方洪庵の奮闘は、単に医学的知識の活用にとどまらず、彼の人道的精神の表れでもありました。彼は自らの命を顧みず、多くの患者の治療にあたり、その姿勢は弟子たちや周囲の人々に深い感銘を与えました。
エピソードの影響
このコレラ流行時の奮闘により、緒方洪庵は「医師としての責務」と「人道的使命」を両立させた存在として広く認識されるようになりました。彼の努力は、日本における西洋医学の普及と、公衆衛生の重要性に対する認識を高める契機となりました。
まとめ
緒方洪庵のコレラ流行時の奮闘は、彼の医学的知識と人道的精神が如実に表れたエピソードです。この出来事を通じて、彼は多くの人々の命を救い、日本における医療と公衆衛生の発展に大きな貢献をしました。彼の遺した教えと精神は、現代にも引き継がれています。
歴史・出来事
- 1789年 フランス革命記念日
- 1977年 ひまわり(静止気象衛星)1号打ち上げ)
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新・新しい暑さ対策のアイディア
1. 冷感タオルの利用
冷感タオルは、水に浸して絞るだけでひんやりとした感触が得られます。首や額に巻くことで、涼しさを感じながら過ごすことができます。最近では冷却効果が長持ちする特殊な素材を使ったタオルも販売されています。
2. 冷却ブレスレット
冷却ブレスレットは、手首に巻くだけで体感温度を下げる効果があります。内蔵された冷却ジェルが体温を下げ、快適に過ごすことができます。外出時にも便利なアイテムです。
3. クールシャワー
クールシャワーとは、冷たい水でシャワーを浴びるだけでなく、シャワーヘッドに冷却機能がついたものを使う方法です。これにより、さらに効率的に体を冷やすことができます。特に運動後や外出後に効果的です。
4. 冷却シーツと枕カバー
冷却素材を使用したシーツや枕カバーを使うことで、寝苦しい夜も快適に過ごせます。通気性が良く、熱を逃がす構造になっているため、睡眠中の体温上昇を防ぎます。
5. ペパーミントスプレー
ペパーミントスプレーは、肌に直接スプレーすることでひんやりとした感触が得られます。ペパーミントの香りにはリフレッシュ効果もあり、暑さで疲れた体を癒します。自宅で簡単に作ることもできます。
最後に
皆様、暑い日が続く中での体調管理は非常に重要です。無理をせず、こまめな水分補給と休息を心掛け、これらの新しい暑さ対策のアイディアを活用して快適に過ごしてください。
それでは、また次回のブログでお会いしましょう。どうぞお体を大切にお過ごしください。
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